おとなの恋の測り方
2016年のフランス映画。
離婚後しばらく恋愛から遠ざかっていたディアーヌの自宅に、店に置き忘れたスマホを拾ったという男性から電話が。
会話が弾んだので新たな出会いを期待して指定の場所に行ったらそこに現れたアレクサンドルは予想外に低身長の男性だった…という出だし。
タイトルが出た後、アレクサンドルがめちゃくちゃスッと現れるのが冒頭から粋だなあと感心しました。
ここ、先に店に着いたディアーヌが座っていて後から来たアレクサンドルは立ってる、って構図がすごくいいと思うんです。
2人とも立った状態の方が2人の身長差がはっきり分かるけど、それだと多分初対面のディアンヌは無意識に彼の頭からつま先を見渡すような視線の動きになると思う。
座っているので真っ直ぐに彼の目を見ているのにカメラが引くと2人の身長差が分かる、っていう描き方は品があって好感が持てます。
最初この映画を観てとても戸惑ったのはレストランの他の客や通行人、またはディアーヌの母親がアレクサンドルへの偏見や差別意識を彼にぶつけてくる描写がかなりあるところ。
えっこんなストレートに言う??心で思ったとしてももうちょっと包み隠さない??…とか思ったんですが、こう思うのはわたしがマジョリティ側の世界しか見えてないからで、アレクサンドルの目線になれば凝縮した世界はこんな感じなのかもと思いました。
以前、大きめの手術をするため入院した友人が院内では車椅子で移動していたんですが「めちゃくちゃ人に見られた」と自身でも驚いていて。
病院内だしそんな珍しくないはずなのに、と私も驚いたし彼女も実際に車椅子に乗るまでは予想していなかったと思うんですが、いざ当事者目線になってみると思っていた世界と全く違うんでしょうね。
確かに車椅子に乗っている人とすれ違った時を思い出してみると「ぶつかったりしないように気をつけないと」とか何らかの意識は働いてその人を見るって行為は絶対してる。
同じように最初戸惑ったのは「えっ、この人◯◯なのにこんな差別するの?」とかその逆で「あれ?この人さっき酷い対応取ってたのに言ってる事まともだな」とか矛盾に感じる事が随所にあって、けどそれは全員に差別意識があるって事だから真理なんですよね。
ディアーヌが「彼が傷つかないように常に気を張ってしまうから辛い」って一見心優しい告白をするけど別の場所では「やっぱ背の高い王子様が理想なのよ〜〜」というめちゃくちゃ浅いグチ(けど否定できない理想)を吐いてしまう。
それらは両方彼女の本心だし、わたしも含めほとんどの人がこんな矛盾を抱えてるんじゃないでしょうか。
それでも「この人とこれからも一緒に生きていく?どうする??」って話は最終的には人と人との問題で、それは心と心との話になってくるからやっぱり楽しい人、自分に気を配ってくれる人が最高じゃない?って着地の仕方がちゃんとラブコメになってるのがいい。
2時間の物語を通じて差別とか現実の問題についてちょっと考えてみる、ってことができるのが映画のいいところの1つだなと思いました。